原発事故と想定 効率思考の必然の結果

津波原発事故の想定可能でなかったのか なぜ想定外が乱発されたのだろう
確率論 効率思考の弊害であろう 人権・生命の危険を確率が低いからとか 効率が悪いから対策無視で危険は覚悟しろという思考だったのでしょうか
そうであれば その因果結果の大きな被害でも当然甘受の覚悟すべきでしょうが 人間の生命と物を同列に置く発想なのだろうか 
確率が低い事象は効率論により無視するという思考選択をしたのですから 事故発生した場合 被害損害は当然認容覚悟しているわけですから耐えなければならないのでしょう   
確率効率的思考を 人間に対する自然災害・原発事故の危機管理に適用した思考が問題になるでしょう
自然界における人間の安全と効率思考は共存しないのです

確率が低くても被害が甚大である場合 通常人の思考では強い恐怖を覚え周到な対策をすると思います
しかるに政策立案執行者である原子力科学者・経済成長論者の経済学者・利権優先の政治家は
発生確率の低い大規模の自然災害を 思考エネルギーの効率主義が 事故発生の想定を避ける判断をしたのでしょう
原子力研究にのみ好奇心・興味を持つ原子力科学者が利益と名誉を事業主経営者と政治家と共有し 
危険と損害被害などの想定についての思考を後回しにし 利益と手柄に焦り 拙速な判断をした結果であろう 

自然災害津波と人災原発事故の被害者は原子力発電政策に関与しないのに、損害被害のみを知らぬ間に受ける多くの一般国民がいることが問題になるのです 原発は一般国民の幸福生存権保護の対象でなく 事業者・権力者たちの好奇心充足・意思実現の政策の道具であって 一般国民は 将棋の駒のような扱いなのでしょうか