原発事故と科学者の反応と意識

原発事故と科学者の反応と意識
原発事故は科学者の意識が元凶でしょう 物理の世界では同じものはいつでもどこでも同じ反応するという前提がある(再現性) 原子力の平和利用も戦争利用も外部的要因による原子力の反応を利用したものでしょう 原子力の完全管理が可能あれば平和利用の標語のもとでの利用は異議ないでしょう しかし完全管理が不可能なのです
人間は進歩の過程において自然に存在するものを そのまま利用もするがさらに化学物理の知識を得 それらに変形修正加工しながら利用し生活を向上させてきた 鉄の鋳造技術は戦争の勝利を確信させる力も持っていたがその生活利用は人人の生活ういっそう豊かにした その延長線上に原子力利用があるようです しかし人間の想定内にありかつ完全コントロールできるまでに達してないのに悪魔的誘惑に負け危険の大きさを想定することを避けて接触し 取り返しのつかない事態を起こしたようです
科学の進歩は人類のためにあるはずという一般人の認識と異なり 
多くの科学者学者研究者と企業利益の企業家が 自己個人の好奇心と名声と物的豊かさを追求する存在であることを 
一般人が黙認あるいは許容していたための最悪の結果であろう
危機管理 企業倫理 コンプライアンス 企業の社会的責任 安心安全 信頼という言葉が飛び交っている 
言葉の力 言葉を信じる 情緒的説得で使われた安全神話 
しかし 言葉って何だろう 想像のきっかけ その時時 場所場所により働き意味が違うのだろう 同じ言葉が異なった内容を与えるのでしょう
原子力研究者科学者 関与する事業家政治家が通常人と同じ感覚意識を持っていれば
原発事故のいろんな可能性を想像し危険回避などその対応を思考し 一般国民にも事実を公表し共に考える知恵ぐらいもっていただろう
今までの原子力発電反対者は 原子力関与者の安全という言葉に不信を持ち彼らをいみ信頼しないということであり
現在においては 結果的には信頼しなかったことが正解であった
多くの人は原発関与者・専門家は信頼できると思っていたのでしょう 信頼できる要件を充足しているかの検証をしない手抜き思考の結果でしょう 原子力の知識はとにかく専門家の知識に頼らざるを得ないのである
専門家であるから信頼できるというのが通用するには 科学者などの意識が自分たちの研究が人々のための研究であることに意義があることを自覚することが必要でしょう 意思の伝達 そして意味の理解に両者に齟齬があってはならない