いじめ論議

テレビでいじめについて論議していました
いじめる子 いじめられる子 その間に親、教師、校長、教育委員 世間等がいて いじめをさせないように頼む人 頼まれる人の間で 信頼できない無責任だと非難と弁解の構図があります 
私も子供が小学生の頃小学校の役員としていじめ問題を取り上げて父母兄と話し合ったことがあります 
25年程前です その頃にいじめ自殺があったのがきっかけだったと思います
私自身は
いじめなくならないだろう 
これからいろんな社会で生活していくわけだからいじめに遭遇することは避けられないでしょう 
そうなるといじめに対抗できるよう強くなること 加害者にならない 
そしてどんな状況でも親が頼れる 家族の結束を信じれるように子供を導くのが良いのではないかと思いました
責任を論じ合っても結果が悪ければ終わりです 
しかし自分を守ってくれるという信頼が強まれば強く生き抜いていってくれるはずと思ったものです
いじめは生き物の生きるための闘争行為なのでしょう だからそのいじめは生来的必然的なものなのでしょう
しかし少なくとも日本国内では教育で
その必要もないし してはいけないということ 
そして人間はヒューマニズム 恕の心 思いやり 惻隠の情が すべての思考の原則であるということを感じてもらうような環境を提供すべきかもしれない